たこマヨの日記

ひとり暮らし大学生のお買い物・日常

【山の中】方広寺に行ってきた

人混みを避けつつ運動もせねば…ということで、静岡県浜松市北区引佐町奥山にある、臨済宗方広寺派大本山である「方広寺」に行ってみました。

 

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三重の塔を目指して歩きます

 

山に囲まれた自然豊かな場所です。坂がキツいので運動になる

 

 

あの「方広寺鐘銘事件」とは無関係

私が浜松市方広寺があることを知った時、豊臣氏が京都に建立した「方広寺」と同じ名前の寺院が浜松にあるということに驚きました。方広寺といえば、豊臣氏徳川家康らに滅ぼされた「大坂の役」のきっかけとなった「方広寺鐘銘事件」をイメージしますが、いろいろ調べたところ京都の方広寺と浜松の方広寺は宗派すら異なり、特に関係はないようでした。山川出版日本史Bの教科書では「豊臣氏が建立した京都方広寺の鐘銘を口実に、…」と書かれており、浜松に同名の寺院があることに配慮がなされているように思えます。対して浜松の方広寺は「奥山方広寺」と呼んで区別しているようです。

 

 

入口からスタート

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ここから本堂に向かって歩いていきます。参拝客はほとんどおらず、駐車場もガラガラでした。

 

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入ってすぐのところに立派な「山門」がありました。(ナナメって見にくいですが

 

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こんな感じの山道をひたすら歩いていきます

 

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しばらく歩くと、本堂らしき立派な建物が見えてきました。こんな急斜面の山奥によくもまあ立派に建っているなあと感じます。森が開けて建物が現れたときのインパクトがすごいです。

 

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この橋を渡ると向こう側に行けるようですが、まだ上に続く道があるので先にそちらに向かおうと思います。

 

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登っていくとかなり高いところに来ました。さっきまで見上げていた寺院を今度は見下ろす感じです。

 

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iPhone7 Plusのポートレート機能で背景をぼかしてみました。

 

上まで登ると

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三重の塔がありました!山のほぼ頂上にそびえ立っています。

 

三重の塔(方広寺)|カテゴリーから探す|ふじのくに文化資源データベースより

‘‘奥山半僧坊の名で親しまれている方広寺(ほうこうじ)は、建徳2年(1371年)に開かれたと伝えられ、60ヘクタールという広大な寺域を有する名高い寺です。
境内にある三重の塔は、大正12年(1923年)、京都の篤志家『山口玄洞(やまぐち げんどう)』氏の寄付により建立されたものです。
山口氏は大阪でラシャ問屋を営み、第一次世界大戦中に財をなしましたが、間宮英宗(まみや えいじゅう)管長の忠告で好景気のうちに商売を手控えました。後に停戦とともにあちらこちらで倒産者が相次ぐ中、忠告を守った山口氏は独り難をまぬがれ、その後も社業が発展したと伝わっています。
そのような故事から、三重の塔は『倒産よけの塔』として全国の財界人がお参りにくる場所となっているようです。‘‘

 

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三重の塔の後ろ側からの景色です。下に見える道路が入口なので、だいぶ登ってきたことが分かります。

 

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三重の塔の向かい側の階段の上に大きな石碑がありました。

 

 

橋を渡って

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先程の橋を渡るとこんな感じです。本堂の有料拝観施設は休業中だったので中には入れませんでした。参拝&休憩して、そろそろ入口へと戻ります。

 

いい運動になった

大自然の中、坂道をのぼって景色を眺めるとすごく気持ちがいいです。適度な運動をして、免疫力も高めていきたいです。

 

 

 

ではでは

 

 

 

おまけ

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道中に見つけた信号機。「トイ」とは…?